美浜町 ちょっとだけ丹後街道沿い 伝説「金焼き地蔵」

前回↓

  今回は、郷市に来ております。 美浜駅には控えめな「へし子ちゃん」がいて、さっきのトリックアートがあります。...

前回の郷市から西へ行くと、すぐに「五湖の駅」というドライブインがあります。

まあ、私が行ったときは朝早くだったもので、まだ営業していなかったのですが・・・。(入りたかったなぁ・・・)

 

その横に、丹後街道と書かれた石標があり、ここからまた街道が続いていくわけです。(右のみち)

 

まあ、実は今回の目的はこの丹後街道ではなくてですね。この街道沿いにある、「金焼き地蔵」という場所が本当の目的なのです。

ここには

伝説

が伝わっていて、わくわくなのです。

 

 

して、この丹後街道。美浜駅ー気山駅間では地蔵さん以外、特に何があるというわけではなく、くねくねとした細い道という感じで、「ああ、街道だな」というだけでした。

なので、地蔵さんまでひとっ飛び。


そんなわけで見えてきました。

 

「久昌寺」というお寺です。

ちゃんと、「金焼地蔵尊」とかいてありますね。

伝説「金焼き地蔵」

 河原市から三方へ向かう県道のわきに久昌寺という寺がある。ここに金焼き地蔵というのがまつられている。
 むかしこの辺のある農家に若い女がやとわれていた。彼女は毎朝飯をたくと必ず握り飯をひとつ作って、どこかへこっそりと持っていった。主人はこれを知って、下女にかくし男でもできているのであろうと思い、下女を呼んで、相手は誰かとたずねた。下女は答えようとしなかった。
 短気な主人は腹立ちまぎれに、かたわらの火おけにさし入れてあった焼きごてを、いきなり下女の顔におし当てた。下女は悲鳴をあげて逃げていった。主人は、ひどいことをしたと後悔した。そのあとで下女が用を聞きにきたので、顔を見ると、やけどの跡がない。主人は下女に尋ねてみたが、彼女もわけがわからないという。
 そこで下女は、今まで自分が握り飯を運んでいたのは、日ごろ信仰している地蔵さまであると告白した。主人は下女に案内させて、地蔵堂へきてみると、地蔵さまの額が焼けただれていた。主人は恐れ入って信者となり、新たにりっぱなお堂を建てた。
 有名な江州(滋賀県)木の本の地蔵さんとは兄弟分で、木の本の方は一本の木で作られ、こちらは末で作られた。

越前若狭の伝説

 

こんな感じで建物は新しいです。

 

敷地内には多くの石碑?墓石?や地蔵さんが。

 

と、看板の後ろにはちゃんと説明書きがありました。

まあ、なかなかなんて書いてあるかわかりにくかったのです。

 

この中におられるそうですね。

すると右側にこんなものが。

まさか、人が出てきて中を案内してくれるのか!?

と思いましたが違いました。

 

何処からともなくアナウンスが流れ始め、そのアナウンスによって金焼き地蔵についての説明が語られたのです。

まあ、残念と言うか。でもさっきの看板はわかりにくかったので、こっちのアナウンスの説明はわかりやすく、すごく理解できたので良かったといえばよかった。

ちなみに一般公開はされておらず、毎年7月23日に開帳されるそうです。

 

雨上がりだからか、蛙さんがたくさん。

 

それじゃ、いくぜ。


しばらくすると、また気になるところが。

「頭瀬地蔵」とあります。

少し山になっているのです。

上まで登ると、地蔵さんが端っこに。

これかとも思いましたが。

丘の真ん中に小屋がありました。

なんだか怪しかったのですが、そーっと開けてみると、

地蔵さんがおられたのです。

写真は撮りませんでした。なんだかとってはいけないような空間だったのです・・・。

戸を開けたら、想像より大きな地蔵さんがいて、まずびっくりした。

そんでご挨拶のために戸を閉めたら、シーンと完全な無音状態。さっきまで、周りの鳥や車の環境音が聞こえていたのが全くしなくなって、ちょっと恐ろしくなった。

玄関みたいに段になっていて、上には畳が敷かれていて入ってもよさそうだったが、やめておいた。(本当なら上がってお参りするんだろうけど・・・。)

たしか化粧もしていた記憶がある。

私はご挨拶を済ませて、さっさと街道まで戻りました。


 

そして、気山の牧口踏切まで来たところで、丹後街道から離脱します。

ちょっとあっち側にようがあるのでね。

 

そんなわけで、今回はここまで。

次回はその用事、つまり次の目的地へ。

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