美浜町 恋の松原は何処

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前回↓ 前回の郷市から西へ行くと、すぐに「五湖の駅」というドライブインがあります。 まあ、私が行ったときは...

前回の丹後街道から離脱して、三方五湖側へ。

 

ここから久々子湖(くぐしこ)が見えます。

 

この田んぼ地帯のどこかに、今回の目的地

「恋の松原」

が、あるはずなのです。

 

しかし、これはさすがに前々から探しておかないとたどり着けないなと思ったので、しっかり予習をしてきました。

他の方々のwebサイトでは、説明板があったはずなのでそれを頼りに探していましたが、その説明板も最近になってなくなったようなのです・・・。

 

もう意地になって探した結果、見つけました

本当にわかりずらいところにあります。

看板も説明板も案内も何もないので、調べてから行かないとまず見つけられないでしょう。(2019年時点)

 

その場所が、前回の終わりに渡った「牧口踏切」の通りと「若狭梅街道」交差点の所にあるのです。

それがこちら

伝説「恋の松原」

 湖畔に松林があり、緑の木かげが数百歩の間連接している。ここを恋の松原という。むかし男と女があり、ここで会う約束をした。女が先に来たが、その日はたまたま大雪で、そのため男はまだ来ていなかった。女は信を守って去らず、ついにしいの橋の下でこごえ死んだ。故に人は恋の松原と呼んだ。
 しいの橋は上瀬社の東数百歩のところにある。しいの木の根が渓流に横たわり橋となっているのでこの名がある。今はない。
 またこのとき女が雪の山坂を恨んだので、その山を恨み坂山と称す。今は浦見坂と書いている。男もまた恨んで湖に身を投げて死んだ。
 土地の人は古美(こみ)の松原と称している。

越前若狭の伝説

 

ちなみに伝説中の「浦見坂」というのは、久々子湖と水月湖の間に流れる「浦見川」がその跡だそうです。

「浦見川のます形」という伝説が残っています。
行方久兵衛さんという人が、久々子湖と水月湖をつなげる水道を掘る際に、この浦見坂の場所を掘ったそうです。

「浦見川」という名前も元をたどれば、この恋の松原伝説恨みから来ているのです。

まあ、伝説ですがね・・・。

「恋の松原古墳」と呼ばれているそうでしたが、今はどうなのか。

 

 

それにしても説明板が無くなった理由が気になるのです。

 

他の方のサイトと合わせて時系列にたどっていくと・・・、

2012年 他のサイトで「恋の松原古墳」の案内板を確認。
2014年 googleマップで案内板の説明の所が無くなっている。(支柱や骨組みは残っている)
2017年 他のサイトで「恋の松原」と新しい案内板が立っている。
2019年 私が訪れた際は案内板は、またなくなっている。支柱や骨組みすらなくなっている。

歴史的な問題なのか、純粋に壊れたのか。

「本当は違う所でした。」とか言ったりしないよね?

 

こんな感じで、支柱が立っていたと思われる穴が開いています。

 

まあ、なんというか残念ですね。

跡がしっかりと残っていない場所では、やっぱり「これ」といった決定的な目印が欲しいものです。

「本当にここなんかな?」ってなっちゃいます。今もなっています。

 

はい、これが恋の松原でした。(たぶん)

次回は宇波西社へ。

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