美浜町 気山の宇波西神社と伝説

前回↓

前↓ 前回の丹後街道から離脱して、三方五湖側へ。   ここから久々子湖(くぐしこ)が見えます。 ...

の続きから、

今回は宇波西(うわせ)神社へ向かいます。

県道244線を通っていると、目立つ橋が見えてきます。

 

長い参道が東に延びています。

 

西に神社があります。駐車場完備。

 

説明板がありますが、剥げてる上に草で近くに行けなくて見えん。

 

伝説「宇波西(うわせ)神社」

 むかし日向(ひるが)に六右衛門という漁師が住んでいた。毎日日向(ひるが)湖でつりをしていたが、ある日少しもつれない。日が暮れかけたので帰ろうとすると、一羽のウ(鵜)が現れて、「この湖の一番深い所に高貴な方がおられて、あなたに救い上げてほしいといっておられる。今そこへ案内します。」といいった。六右衛門が承諾して、ウのあとについて水中にはいると、十ひろもある深い底へやすやすとくぐることができた。湖底から神器を引き上げ、家に新しい神だなを作ってお祭りした。すると神だなから声があり、「わたしはうがやふきあえずのみことである。九州の日向(ひゅうが)からはるばる来た。わたしを上瀬(うわせ)川のほとりに安置してほしい。近郷の守り神となろう。わたしの国の名日向をお前の村の名に与えよう。」といわれた。
 翌朝このことを村の人に話し、上瀬川のほとりに宮を造り、四月八日の吉日に宮を移した。この日は神意により村の若者のひとりが天狗(てんぐ)の面をかぶり、わきざしを差した六右衛門をそばに従え、ほこをもって、おもしろおかしい舞を舞いつつ先達申し上げた。村の人は獅子舞を舞い、つつみをたたき、笛をならしてお送りした。気山の宇波西(うわせ)神社はこのようにして始まった。
 日向(美浜町)に今も六右衛門の家がある。このいわれで、いまだかつて家ではお産や葬式をしない。

越前若狭の伝説

伝説ではこんな感じ。

 

王の舞。

国選択無形民俗文化財となっています。

この王の舞が伝説の中で出てきた、「翌朝このことを村の人に話~」からの部分になるのでしょう。

 

手水舎は鳥さん

最初、鴨かと思いましたが、伝説で出てきた案内鳥のウ(鵜)ですねたぶん。

 

拝殿は雨風にさらされないように近代物で囲まれています。

 

しかし順路なるものがあり。

 

後ろに回り込むことでお参りをするのです。

本殿に直接お参りとは。

 

見てこれ、この装飾素晴らしいですよ。

実物で見るべきものですよ。

 

ここに神社の由緒書きが書いてありました。

表にあったのと一緒かわかりませんが、こっちの方がちゃんと見やすいですね。

実は福井神社庁の方にも書いてあるのでした。

 御祭神は鵜草葺不合尊(人皇第一代神武天皇の御父君)。御母豊玉姫が海辺で鵜の羽などを葺草にまぜて産殿の屋根を葺かれ、それができあがらないうちに御安産されたのでこの御名を奉られたらしい。古来漁猟又安産の守護神として崇敬されている。

というわけなのです。

 

 

拝殿の段には、境内社や木が多くあります。

 

 

この中に町指定天然記念物の大杉があります。

この木は宇波西神社の御神木です。

気に括り付けられている標柱の横にも少し説明が書いてあります。

推定樹齢は830年(平成13年記)だそうです。

これは「神」ですね・・・。

本殿の由緒書きに書いてありましたが、宇波西神社が炎上した際に木の先端が炎上したそうです。

 

 

境内社は八幡神社と小美多麻社。

境内社にもちゃんと由緒書きがあるのです。

すばらしい。

 

本社挟んで反対側には、猿田彦さん

 

 

大木。

 

じゃあ、おります。

普段お守りとか売っているところかな?

わかんないけど。

 

南側には駐車場。

 

 

もうひとつ気になる伝説がありまして、

伝説「泉神社」

 社のかたわらから泉がわき出ていたので社号とした。その泉は地震でくずれ、今はない。この神は宇波西神の母で、白髪の老婆の姿で現れたことがある。

越前若狭の伝説

だそうです。

母ということは由緒にもあった豊玉姫さんのことでしょう。

社の傍らって、どこの社かは書いていないけど文面から宇波西さんの社のはず。

 

まあ、地震でくずれてなくなったということなので、今は見つけられませんが・・・。

 

 

 

では、国道をまたいで、参道の方へ東に行くとしましょう。

 

 

まず石碑があります。

行方久兵衛翁頌徳碑。(「行方」は「なめかた」とよむ)

はい、再び登場。前回の恋の松原編で、浦見坂の話の時に出てきた人。

浦見川を掘った人ですね。

そのことが、写真の説明にしっかりと記されています。

 

現在の五湖と周辺を誕生させたとも書いてありますね。

凄い方だったそうです。

伝説「浦見川のます形」は、またこの話を詳しく調べた後に記事にしましょうかね。

長くなっちゃうし、いつか「調査」として書こう。

 

 

橋。

また前回の話するけど、恋の松原伝説で女の人が凍え死んだ「しいの橋」がここら辺にあったという話。

 

「しいの橋は上瀬社の東数百歩のところにある。しいの木の根が渓流に横たわり橋となっているのでこの名がある。今はない。」

となっているから、まさにこの橋辺りにあったんでしょう。

 

 

 

だいぶ来ました。

JR小浜線の下まで来ました。

この参道にはかつて松並木があったそうで、それを偲んでいるそう。

 

 

小浜線をくぐると、

こんなところに社標が。

と思ったらここ、丹後街道に戻ってきたみたいです。

丹後街道からの参道だったわけですね。


 

以上、美浜の郷市~気山の小旅でした。

たのしかった。

 

それでは記録終了。

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