小浜市 小浜城と人柱「組屋地蔵」

今回は、小浜城に伝わる

「人柱伝説」

を求めてやってきました。

 

この前も郡上八幡で人柱伝説を紹介しましたね。

そう、福井にも人柱の伝説は多くあります。

 

小浜神社の鳥居がみえます。

 

まずはご挨拶だな。

 

奥の方には、お稲荷さんがありまして、

ご挨拶。

 

説明板に

「伝説」の文字が。

これは聞いてなかった・・・。

 

ざっくりと・・・

正一位 稲荷大明神
祭 神 倉稲魂命

昔は北の丸の鎮守神として祀られていた。

 

 

伝説の大まかな内容

八助稲荷大明神

酒井忠勝の時代、藩に八助という者がいて、小浜と江戸の文箱を6日で届けていた。ある朝、小田原で犬にかみ殺された一匹の白狐がいて、酒井の紋のついた文箱がついていた。その間の期間、八助を見たものもいない。稲荷信仰の篤かった忠勝を白狐が助け給ったのだとされ、以来「八助稲荷明神」と名づけお参りを続けた。

 

 

祠も多い。

 

小浜城を散策だよ。

階段があるけど上れないらしい。

 

櫓跡。

 

こっちは上るなとは書いていない。

ここまでしか行けないんか・・・。

向こうに行きたかったけど・・・。

結構高い石垣だね。

 

井戸発見。なんか書いてる。

メインは井戸ではなく、この前の石。

 

古呂美橋の石

小浜鹿島区と浅間区の間にあった橋の石。向若録「八百比丘尼がこの場で倒れたまま起きずにして死す。故に名付けて古呂美橋という。京極家の地領の時にこの本丸に移す。」
井戸の水は、「京極家の家臣として召し抱えていた力士たちがこの井戸の水を浴びた」と伝えられる。

 

八百比丘尼関係とは、伝説最高。

 

奥に階段あり。

 

小浜城址とあります。ここは上ってくださいと言わんばかりの階段。

というか、手前にハトの大群。

 

ここから天守閣跡らしいです。

 

わくわくだ。

おお!結構しっかりしてるぞ。

 

天守だ。

 

説明もあるので。

 

小浜の街を、ある程度見渡せる。

いい場所じゃないか。もっとアピールしてもいいと思うんですがねぇ・・・。

 

 

下りてきました。

休憩所?

古そうな絵が飾ってある。

 

階段がたくさんありますね。

 

 

さて、城散策はこんなところでしょうか。

では、城を見学したこの身で、今回のメインの目的、この城の人柱の伝説に会いに行きましょう。

伝説「組屋地蔵」

 この地蔵は、むかし小浜城本丸のくもてやぐらのそばに祭られていたが、いつのまにか、忘れさられていた。
 ところが昭和三十四年七月小浜城趾の石垣を修理した時、地下一・八メートルのところから地蔵さんが発見された。現在この地蔵さんは、小浜城趾石垣のそばの小さな堂の中に祭られてる。
 慶長六年(1601)領主京極高次(きょうごくたかつぐ)は、後瀬(のちせ)山にあった城を海のそばへ移すことにした。
 この時この城が安全に長く残るように、人柱を立ててはとの意見が出た。このことを、京極高次の家来が、当時小浜の町老役で豪商の組屋六郎左衛門に相談した。六郎左衛門は、あれこれと思案したが、人の子を人柱にすすめることもならず、やむなく自分の娘をさし出すことにした。娘は父の心境を察して、父のいうとおり人柱となった。
 その後京極高次は、国がえとなり、寛永十一年(1634)酒井忠勝が若狭国の新城主となった。
 酒井忠勝は、幕府大老の職にあったため、江戸にいなければならなかったので、城代家老に若狭の政治をまかせていた。その城代家老は、三浦帯刀(たてわき)であった。
 帯刀が、ある夜ひとりで城内を見まわっていると、城番の武士が五、六人集まり、ひそひそと話していた。「くもてやぐらの近くへ行くと、毎夜女のしのび泣く声が聞こえる、あたりに人影もなく、きつねかたぬきが、たぶらかすのだろうか。」といっている。
 三浦帯刀は、武士たちに気づかれないようにわが家へ帰り、召使をよび、ひそかに町へ出て、城の昔のことを聞き出して来るようにと命じた。召使は、町家を回り尋ねると、京極さまの築城の時、人柱になった組屋の娘の話をした老人がいた。
 これを聞いた三浦帯刀は、使いの石工(いしく)のところへ出して、一体の地蔵尊を刻ませた。帯刀は地蔵尊を城内に安置し、お坊さんをまねき、人柱になった組屋の娘の供養を行った。これによりこの地蔵を組屋地蔵と呼んで、小浜城の守護とした。
 これから女の泣き声もなく、いつしか忘れさられていたが、寛文二年(1662)の大地震の時、城が大損害をうけ、くもてやぐらをはじめ本丸から二の丸にかけて、石垣がくずれおちた。その復旧工事のさい、昔のことに気づかなかった役人や人夫が、組屋地蔵を埋めこんでしまったのである。

越前若狭の伝説

長いけどしっかり書いておくぜ。人柱の伝説だからね。

 

それにしても・・・、むごい・・・。

やっぱり、人柱ってなかなかの黒い歴史ですね・・・。

 

やっぱ城って人柱多いのかな。伝わってないだけで結構いろんなところでも人柱あったりするんでしょうね。

現地にも説明板があるので、ぜひ。

 

花も新しく供えられている。

この悲劇の歴史は忘れ去られてはならないでしょう。このように祀られ伝わっているのは、意味のあることと思います。

 

ではこれにて、記録終了。

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