永平寺町 藩主松平昌勝や「奥の細道」松尾芭蕉と関わる清涼山天龍寺

松岡の山際。

清涼山天龍寺に来ております。

笏谷石の寺標が美しい。

曹洞宗 清涼山 天龍寺

春日一(本町十七号十二番地)にあり、松岡藩初代松平昌勝が、祖母清涼院の冥福を弔うために、承応二年(1653)に建てた寺で、開山斧山宝鈯和尚(越中射水郡の人)は、品川天龍寺の第三世住持であったので、この寺も天龍寺としたと云う。

『松岡市史』

 

なるほど、「清涼山」とは祖母の「清涼院」から来ているのですね。

 

 

参道の途中に「芭蕉塚」なるものがありました。

見ての通り、石碑と説明板があります。

 

簡単に説明すると、松尾芭蕉が奥の細道の途中、大夢和尚に会うため、この天龍寺へきて、一泊していったそうです。

[奥の細道] (元禄二年八月十二日)

「丸(「松」の誤り)岡天竜寺の長老、古き因(ちなみ)あれば尋ぬ 又 金沢の北枝(ほくし)といふもの かりそめに見送りて 此(この)處までしたひ来る、所々の風景過さず思ひつゞけて、折節(おりふし)あはれなる作意など聞ゆ 今既に別に望みて

  物書きて扇引きさく余波(なごり)哉

五十丁山に入て永平寺を礼す。道元禅師の御寺也 邦機千里を避て、かゝる山陰に跡をのこし給ふも、貴きゆへ有とかや。」

『松岡市史』

 

芭蕉さん来てます。

芭蕉さんと北枝っていう人の像もありました。

 

 

松岡観音巡礼霊場

後ろに並んでいるのが松岡観音たち。

廃寺も多いので、それらもこの中にいらっしゃるかもね。

 

いや~、いい時期にきましたなあ~。

2019年11月中旬でしたからね。紅葉でしたね。

 

松平昌勝公御傢堂

 

松平昌勝の墓碑があるそうです。

松平昌勝墓 法名 見性院殿鉄関了無大居士

 松平(岡?)藩初代藩主、福井藩三代忠昌の長男、正保二年十一月十九日、忠昌の遺領中五万石の分封を受け松岡藩を創建。慶安元年十二月従五位下中務大輔に叙任、寛文三年十二月従四位下中務大輔に進む。元禄六年七月廿七日江戸にて逝去。享年五十八。品川天龍寺に葬られる。
 側室実相院、男昌玄遷無大童子、女真光浄天大童子の墓もある。

『松岡市史』

他にもこの寺には、

「浅井縁山墓(福井俳諧獅子一派の祖)」
「浅井柏庭墓(幼少の松平春嶽の傅育に献身的奉仕をなす。)」
「浅井政良(縁山の養子、俳諧をよくす。)」

の墓碑もあるようです。

芭蕉さんの影響か、俳諧関係も多いですね。

 

お稲荷さん。

庭もきれいに砂紋入っています。


 

碑や像も多くありましたので、もっとじっくり見まわると、もっと発見があるかもしれませんね。

 

ではこれにて。

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